カンボジアへ、女一人旅!
カンボジアはなんだかずっと気になって仕方ない国でした。笑
なので「行くならこのタイミングだ!」と思い、独立をした翌月に私は早々、カンボジアのシェムリアップへ向かっていました。
カンボジアは昔内戦がありひどい虐殺で、国民の多くが亡くなりました。そんなイメージが強かったのですが、シェムリアップに到着すると、夜遅くにも関わらず街には明かりがあり人も多くて想像以上に都会でした。
急成長しているんだな、と強く感じました。そんな経済成長を感じる一方で、道路には物売りをしている小さな子供もいて、その光景には酷くショックを受けましたが。
翌日私はどうしても、カンボジアの子供たちに会ってみたくてガイドさんにお願いをして、村の小学校へ連れていってもらいました。
村の小学校へ向かうまでの道のりはまるで弥生時代へタイムスリップしたかのよう。
急激に成長をしているのは中心部だけのようで、そんな中心部から少し離れたら、それはまるでいつかの社会の教科書で見たような昔の人たちが住んでいたと言われる、高床式倉庫?のような住居が密集しそれが集落となったような村が転々と姿を現します。
そして目的地である小学校へ辿り着きました。子供たちは日本人である私に怯えたりしないだろうか…?と少し不安はありましたが、教室まで近付いて行ったら子供たちの方から走って、私のもとへ来てくれました。
その時の光景が、今でも忘れられません。
カンボジアの子供たちの瞳がとにかくキラキラで眩しいほどであったこと。
そんなキラキラと輝かせた目と満遍の笑みを見せる子供たちがどんどんと私の周りに集まってきます。
しかしながら、ガイドさんの話によると、カンボジアの4割の子どもが慢性的な栄養失調に苦しんでいるそうです。また衛生環境も悪く、農村部ではふたりにひとりが安全な水を飲めないそうです。適切な衛生設備のある環境で暮らす子どもはわずか2割。そのため、1割近くの子どもが、5歳まで生きられないとのことです。
それでも子供たちの瞳は美しいほどに輝きを放ち、希望に満ちた顔をしていました。
私は思いました。
日本という地に生まれた、この事実がどれほどに恵まれているのかということを。再度、思い知りました。何不自由なく生活ができる環境下、カンボジアのように衣食住に困ることってそんなにないですよね。
インターネットが普及した今、ありとあらゆる情報をスマホやPC一台から簡単に受け取れます。世界から見ても日本という地は非常に恵まれていると言われており国ランキングでも上位です。
そんな日本という地で生まれた、この事実だけ見ても私たちは世界の人たちに比べ、とても有利であるということです。これほど恵まれた環境下であってもただただくすぶっていたり、会社や企業の規則にハマってストレスを抱えながら生きるのって凄くもったいないと思いませんか?
私は思います、この日本という非常に恵まれた環境で、絶大な時代の恩恵をも享受できる今、挑戦しないことって凄くもったいないと。世界を見た時には、国によっては挑戦したくてもできない人たちがいる。
もっと生きたくても生きられない子供たちがいる。そんな実態も事実なのです。
カンボジアへ行ってから私は自分が置かれた環境下に対して今まで以上に有り難みや愛を感じられるようになりました。
そして、日本というフィールドにいるのならば、自分がやってみたいことや気になることはどんどんと挑戦していこうという野心も生まれました。
いつだって、“自分の可能性を信じて、自分らしい人生をクリエイトしていく。”
これが私の人生課題です。一度きりの人生だから、後悔だけはしないように。
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